感想は個人の自由
僕のブログに対してわざわざ「つまらない」って言ってくれる人がいるんで、それに対してこの場を借りて反論してみることにする。
というのも、ブログやYou Tubeもそうなんだけど、どんなメディアであっても、受け身と発信者の2者がいる。
その発信者のコンテンツを見て「つまらない」と感じる人を僕は否定しない。
その人がどう感じるかは、基本受け取った側の自由だからだ。
それを抑圧する気はサラサラ無いとういうことを前提に話させてもらう。
思考停止のゾンビ
僕が言いたいのは、それが友達だったり、知り合いだったのなら、その「つまらない」から何かアドバイスをくれても良くない?って話。
しかも、さっきの2者の内、基本受け身の立場で発信者に対して「つまらない」だけしか返せ無いって、一体何をしたいのか分からない。
と言うか一体
何を伝えたいんだ?
僕も以前は見る専門の受け身の立場だったんで、よく分かるんだけど、受信しかしてない人って完全に”思考停止”していると思っている。
どういうことかというと、漫画も小説も映画も動画も音楽もスポーツも、見る側っていうのは頭で何も考えて無くてもストーリーが進んでいくから。
でも、作り手や漫画家や小説家やスポーツ選手や歌手や発信者というのはどんなに「つまらない」話やストーリーであっても、ちゃんと自分の頭で考えて発信しているので、少なくとも”思考停止”はしていない。
何を言いたいかというと、受け身だけの観客ってのはゾンビと変わらないってこと。
本当の仲間とは?
いわば会社で言えば社長と社畜、聖書で言えば創造主と人間の様なもの。
それをただの社畜が、社長のスピーチに対して、単純に「つまらない」とだけ言うのはどうかしてるとしか思えない。
同じ会社に努めている社員であれば、「社長のスピーチは、この部分をこう改善すると、もっと分かりやすいです」って言うなら断然分かる。
これが同じ発信者同士だと違っていて、ちゃんとフィードバックをくれたり、改善点を示してくれたりする。
もちろん受け身だけの人の中にも、ちゃんとアドバイスをくれる人がいるのは知っている。
でも、それができるか、できないかってことが、今回僕が引っかかっている部分。
前置きをしてるのに
それに最初からプロフィールの欄に「くだらない記事が多めです。」と書いているにもかかわらず、わざわざ「つまらない」とだけ吐いていく人って、完全に「一部分しか見てねーじゃん!」って思う。
そんな人に「つまらない」って言われるのは、どうしようもなく納得いかないので、今回ぶちまけさせてもらった。
色々思ったことを書いてみたけど、それでも見てくれてる人には感謝しています。
鷺 健一
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